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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)1727号 判決 1981年8月25日

原告(反訴被告) 有限会社カオル

右代表者取締役 近藤薫

右訴訟代理人弁護士 近藤建一

被告(反訴原告) 株式会社伊勢藤本店

右代表者代表取締役 伊藤政治

同 伊藤富雄

右訴訟代理人弁護士 阿部博

主文

被告(反訴原告)は原告(反訴被告)に対し、別紙物件目録記載の建物につき、昭和五四年二月一五日付売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

被告(反訴原告)の原告(反訴被告)に対する反訴請求を棄却する。

訴訟費用は本訴反訴を通じて被告(反訴原告)の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(本訴)

一  原告(反訴被告、以下「原告」という)

主文第一、第三項と同旨の判決。

二  被告(反訴原告、以下「被告」という)

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(反訴)

一  被告

1 原告は被告に対し、別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という)を明渡し、かつ昭和五四年四月一日から右明渡済みに至るまで一か月金二五万六、三〇〇円の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

3 仮執行宣言。

二  原告

主文第二、第三項同旨の判決。

第二当事者の主張

(本訴)

一  原告の請求原因

1 被告は、本件建物の所有権を昭和四六年四月五日競落により取得し、同年五月二六日所有権移転登記を経由したが、原告はそれより前の同年三月三一日、被告との間で本件建物につき賃貸借契約(以下「本件賃貸借」という)を締結するとともに、その特約として左記内容の売買予約契約(以下「本件売買予約」という)を締結した。

特約条項 原告が被告に対し約定賃料を約定に従い遅滞なく支払をなし、本契約の効力発生の日時より七年を経過した時は、原告は右経過の日より一年間に限り金九八〇万円をもって本件建物を買受けることができ、被告はこれを承認する。但し買受けに際し必要な地主の承諾料は原告の負担とする。

2 原告は、約定のとおり遅滞なく賃料を支払ったうえ、右特約の七年経過後でそれより一年以内である昭和五四年二月一五日到達の内容証明郵便をもって被告に対し本件売買予約完結権行使の意思表示をするとともに、右到達の日から一週間を経過した日に代金の支払と引換えに所有権移転登記手続をするよう請求したところ、被告は同月二〇日到達の書面をもって予め履行を拒絶した。

3 よって、原告は被告に対し、本件建物につき、本件売買予約完結権行使の意思表示が被告に到達した昭和五四年二月一五日付売買を原因として所有権移転登記手続をすることを求める。

二  被告の答弁

請求原因事実は全て認める。

三  被告の抗弁

1 本件売買予約に基づく完結権の行使は、その前に原告が営業を引き継ぎその債務を事実上引受けた訴外近藤商事株式会社(以下「近藤商事」という)の債権者に対する債務全額を原告において完済することが条件となっていた。

すなわち、原告は近藤商事が倒産後その債権者集会の決議により近藤商事の営業を引き継ぎ同商事の債務をその営業利益から弁済させるために設立された会社であって、右集会によって設けられた被告代表取締役伊藤富雄らを委員とする債権者委員会は、昭和四六年三月、任意競売に付されていた近藤商事所有の本件建物を、原告の営業継続に必要なため、同委員会委員長であった川手環次もしくは被告において競落したうえ、これを原告に賃貸し、原告が近藤商事の債務を完済した後は、債権者らの原告に対する干渉を一切止めて原告の債務弁済の労に報いるため、原告に本件建物を売渡す形式で返還することを決め、この決議にしたがって被告が本件建物を競落する予定のもとに、原告との間に本件賃貸借及び本件売買予約契約を締結したものであり、その際契約書上明記しなかったものの、右債務完済を右予約完結権行使の前提条件とすることが原、被告間で合意された。

ところが、原告は、被告ら近藤商事の債権者に対し弁済を約した債権額の半額も支払っていないのに、昭和五〇年一一月以降本件建物の買受代金を調達するためと称して右弁済を中止しており、右前提条件は未だ成就されていないから、原告主張の完結権行使はその効力を生じない。

2 仮に本件売買予約完結権に右のような条件のあることが認められないとすれば、

(一) 本件売買予約は錯誤により無効である。すなわち、被告の代表取締役である前記伊藤は、前項の債権者委員会の決議のとおり近藤商事の債務完済後に本件建物を売渡すこととし、右完済後でなければ予約完結権の行使を認めない意思で本件売買予約に応じたものであり、右意思は当時の原告の代表取締役であった債権者委員会委員長の前記川手も了解していた。

被告は、原告の債務完済の労に報いるため本件建物を好意的に競落代金一、三一〇万円より安い金九八〇万円で本件売買予約に応じたものであり、そうでなかったらそのような契約を結ぶはずはなかったから、右錯誤は契約の重要な部分に存するものというべきである。

(二) また原告の本件売買予約完結権の行使は権利の濫用であるから効力を生じない。

すなわち、原告の取締役近藤薫は、近藤商事の代表取締役であった近藤厳の妻であり、原告設立の目的は前記のとおり近藤商事の債務の弁済にあってそれがために原告にその債務完済の義務が課せられていることを忘れ、前記のとおりその支払を中断して本件建物の買受代金を貯えるという背信行為に出ながら、その一方契約書上に近藤商事の債務完済後という条件が明記されていないことに乗じて、被告が原告が右債務弁済の努力に報いるため好意的に与えた本件売買予約完結権を行使したものであり、右行使は信義誠実の原則に反し権利の濫用である。

四  抗弁に対する原告の認否

1 抗弁1の事実のうち、近藤商事が倒産し原告がその営業を引き継いだこと、近藤商事の債権者集会が開かれ、被告代表取締役である伊藤富雄らを委員とする債権者委員会が設けられたこと、同委員会の当初の委員長が川手環次であったこと、同委員会において、任意競売に付されていた近藤商事所有の本件建物を被告もしくは右川手において競落しこれを原告に賃貸することを決議したこと、昭和五〇年一一月以降原告が弁済を約した近藤商事の債権者に対する弁済を被告主張の理由で中断していることは認めるが、その余は否認する。

2 同2の(一)の事実のうち、本件売買予約当時前記川手が前記債権者委員会の委員長であるほか原告の代表取締役であったこと、本件建物の競落代金は一、三一〇万円であり本件売買予約における代金が九八〇万円であることは認めるが、その余は否認する。同(二)の事実のうち、近藤商事の代表取締役が近藤厳であり原告会社の取締役近藤薫がその妻であること、原告が弁済を約した近藤商事の債権者に対し、前記のとおり弁済を中断していることは認めるが、その余は否認する。

五  原告の再抗弁

1 仮に被告主張のとおり近藤商事の債権者に対する債務完済が本件売買予約完結権行使の条件となっていたと認められるとしても

(一) 被告は昭和五〇年一一月右債務の弁済を猶予した。

(二) 仮に然らずとしても、昭和五三年九月五日右条件にかかわらず本件売買の成立を認めることに合意した。

六  再抗弁に対する被告の認否

全部否認する。

(反訴)

一  被告の請求原因

1 被告は原告に対し、昭和四六年三月三一日本件建物を賃貸した(以下「本件賃貸借」という)。

2 本件建物の賃料は昭和五四年四月当時一か月金二五万六、三〇〇円であったが、原告は昭和五四年四月一日から昭和五五年八月末日までの賃料合計金四三五万七、一〇〇円を支払わない。

3 そこで、被告は原告に対し、昭和五五年九月二日到達の内容証明郵便で、右滞納賃料を右到達後七日以内に支払うよう催告し、期限内に支払わないときは賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたが、原告は右催告に応じて支払わないので、本件賃貸借は同月九日の経過によって解除された。

4 よって被告は原告に対し、本件建物の明渡並びに昭和五四年四月一日から同五五年九月九日までは滞納賃料として、同年九月一〇日から右明渡済みに至るまでは損害金として一か月金二五万六、三〇〇円の割合による金員の支払を求める。

二  原告の答弁

被告主張の解除の効力は争うが、請求原因事実は全て認める。

三  原告の主張

本訴で主張の本件売買予約完結権の行使により原告が本件建物の所有権を取得し、本件賃貸借は消滅した。

仮に右予約完結権の行使が効力を生じないとしても、原告は、昭和五四年二月二七日本件建物の所有権を取得したことを主張して本訴を提起しており、右主張をする正当な根拠があったから、賃料の不払には止むを得ない事情があり、右不払を理由とする本件賃貸借の解除に基づく被告の主張は権利の濫用である。

四  被告の認否

原告の主張事実は否認する。

五  当事者双方のその他の主張及び認否

被告及び原告とも本訴における主張及び認否を援用。

第三証拠関係《省略》

理由

(本訴請求について)

一  請求原因事実は当事者間に争いがない。

二  本件売買予約を締結するに至った経緯等は、右争いのない事実に、《証拠省略》を総合すると、次のとおり認められる。

すなわち、喫茶店及び小料理屋の経営を営業目的としていた近藤商事は、昭和四四年一二月不渡手形を出して倒産し、本件原告訴訟代理人が近藤商事の代理人として任意整理をすることとなり、翌四五年一月及び二月の二回債権者集会を開催し、債権回収のためと近藤商事の代表取締役近藤厳の妻近藤薫の日頃の働き振りから同女による会社再建を支援するため、近藤商事の営業を引き継ぐ第二会社を作ること、右会社設立後三年間は銀行や街の金融業者への弁済に努め一般債権者にはその後に弁済することなどを決議し、爾後の細目については債権者委員会を設けてこれに一任することとし、債権者委員に川手環次、小宅芳郎、被告代表取締役伊藤富雄ら四名が選出され、同委員長に右川手が就任したこと、同年二月一三日の債権者委員会において、原告を設立し近藤商事の債権債務等全部を引き継ぐこと、近藤商事の債務完済まで実質的な経営は前記近藤薫に任せることとするが、原告の代表者は債権者委員の中から選任することとし初代代表取締役に前記川手が就任することを決め、これに基いて本件原告訴訟代理人に設立手続を依頼し、同年三月二日原告の会社設立登記を完了し営業が開始されたこと、その後に原告の店舗となっていた近藤商事所有の本件建物が任意競売に付され、入札期日が昭和四六年四月一日と指定されるに至り、もし右建物が第三者に競落されると原告が営業できなくなり、その結果近藤商事の債権者に計画どおり弁済することも不可能となることから、前記近藤薫の懇請もあって同年三月二五日債権者委員会が開催され、被告もしくは川手が本件建物を競落してこれを原告に賃貸し、原告に賃料として被告らが銀行から借入れる利子や公租公課のほか元本の支払にも回せる程度の金額を定め支払わせること、五年位で資金が出来次第原告に買戻させることなどを協議し、同月二九日の債権者委員会では右協議をもとに被告らにおいて本件建物を競落し原告に賃貸することのほか近藤薫を支援する趣旨で原告が近藤商事の債務完済後は競落者が誰になろうと本件建物を原告に売渡すことを決めたこと、同月三一日に至って結局被告が競落することとなり、原告の取締役である近藤薫、原告の代理人の本件原告訴訟代理人、被告の代表取締役伊藤富雄、その代理人松原厚弁護士などが会合し、被告が本件建物を競落することを条件として本件建物につき本件賃貸借を締結し、その特約として請求原因1項記載の本件売買予約の合意をし同日建物賃貸借契約書を作成した(但し、代金額など一部は後日補完)こと、右特約においては債権者委員会で決めた近藤商事の債務完済を条件とする代りに、右債務完済は、一般債権者関係については銀行等への弁済後六年位の弁済計画であり、したがって当時七ないし八年位先に債務完済がほぼ達せられると見込まれたことから、被告が競落した本件賃貸借の効力が発生した時から七年経過後の一年間と完結権行使の始期と期限を契約書上明確にしたこと、本件売買予約の代金は、近藤薫が女手で近藤商事の債務弁済に努めることや賃料として被告の銀行返済を考慮したかなりの金額を支払うことなどを理由に原告の代理人に説得され、任意競売における最低競売価額の九八〇万円となったこと、被告は、翌四月一日一、三一〇万円で本件建物を落札し、同月五日競落許可決定を受け、同年五月六日代金を納付して同年五月二六日所有権移転登記を経由したこと(近藤商事の倒産、債権者集会の開催、債権者委員会の設置と構成、右債権者集会等における債務完済を条件として原告に売渡すとの点を除く決定内容、本件賃貸借、売買予約を締結したこと、競落価額、所有権移転登記の日時は当事者間に争いがない)、以上のとおり認められ(る。)《証拠判断省略》

三  そこで、被告の抗弁について判断する。

1  先ず被告は、本件売買予約完結権は原告が近藤商事の債権者にその引受けた債務を完済することが行使の条件であると主張するが、右主張に符合する被告代表者伊藤富雄の「右条件を契約書に明記しなかったのは明記すると原告が名目上近藤商事と同一会社とみられ近藤商事の債権者に返済を迫られるためであり、右条件が紳士協定として合意された」旨の供述は右明記しない理由としては薄弱であり、前掲証拠に照らしてもたやすく措信することができず、他に右事実を認めるに足る証拠はなく、却って前認定のとおり契約書に記載の七ないし八年内に右債務の完済が見込まれたというにすぎず、それは完済の目途がつけば売渡すという趣旨であって右完済を完結権行使の条件とするまでの趣旨でなかったと解されるから、右抗弁は理由がなく採用することができない。

2  次に被告は、本件売買予約は錯誤により無効であると主張するが、これに符合する被告代表者伊藤富雄の供述はたやすく措信できず、他にこれを認めるに足る証拠はなく、却って本件売買予約の締結の経過は前認定のように認められ錯誤があったとは認め難いから、右主張もまた採用することができない。

3  次に被告は、本件売買予約完結権の行使は権利の濫用であると主張するので判断するに、原告設立の目的、本件建物を原告に買戻させることとした理由は前認定のとおりであるところ、原告が本件建物の買戻しの資金作りのために近藤商事の債権者に対する債務の分割弁済を中断していることは当事者間に争いがなく、右のような弁済の中断が本件売買予約締結当時の当事者の意思に反し買戻しを認めた趣旨に反するものがあるといえるけれども、原告代表者の供述によると、右弁済の中断については、それに先立つ昭和五〇年一一月頃当時の債権者委員長であった被告の代表取締役である伊藤富雄の了解を得ていることが認められ、右認定に反するかにみえる乙第四号証の記載内容は原告代表者の供述に照らすと右認定を覆すに足りないし、他に右認定を覆すに足りる証拠はなく、また被告代表者伊藤富雄は被告の近藤商事に対する債権は本件建物の賃料として支払がなされ完済された旨供述しており、更に原告代表者の供述によると被告が本件建物の競落のため投じた資金と対比しこれを上回るかなりの額の賃料が既に支払われていることが認められ、しかして本件売買の予約完結権の行使を認めても被告に殊更不利益を与えるものではなく、これら諸事情に照らすと、原告側に全く問題がないとはいえないが、原告の本件売買予約完結権の行使は未だ権利の濫用に当るとは認め難く、しかしてこの主張もまた採用できない。

四  そうすると、原告が本件売買予約完結権を行使した日である昭和五四年二月一五日に本件建物について売買が成立したものということができるから、本件建物につき同日付売買を原因とする所有権移転登記手続を請求する原告の本訴請求は正当としてこれを認容すべきものである。

(反訴請求について)

一  請求原因事実は当事者間に争いがない。

二  しかるところ、本訴請求について判断したとおり、原告が本件売買予約に基づき被告に対し昭和五四年二月一五日到着の書面で完結権を行使したことにより同日原、被告間に売買が成立し、本件建物は原告の所有となり、被告主張の本件賃貸借は混同により消滅したものというほかはないから、被告は原告に対し本件建物の明渡し及び賃料等を請求する権利を有しないものといわねばならない。

したがって、被告の反訴請求は失当であり理由がない。

(結語)

以上の次第で原告の被告に対する本訴請求は理由があるのでこれを認容し、被告の原告に対する反訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 佐々木寅男)

<以下省略>

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